職人さんたちのこと

work
Jan 21, 2019

京都という街にはいろいろなジャンルにハイレベルな職人さんがいらして、漆の仕事をするにも恵まれた環境です。
私は、乾漆(粘土や石膏で型を造形し、その上に漆と土の粉を混ぜてペーストにしたものと布を交互に貼ってゆき胎をつくる)技法と一般的な木地の両方を、作るものによって使い分けています。
乾漆に関しては自身で胎を作ってゆくということになりますが、木地を使うときには木地師さんに挽いてもらいます。
私が頼んでいるのは、京都一の木地師といわれる西村直木さんという方です。
古典的な京都の仕事の最高峰はお茶道具なので、千家十職の中村宗哲さんの木地はじめ、お茶道具のお仕事をたくさんされています。私はお茶道具を作っているわけではないのですが、ありがたいことに数年前に初めてお会いしてからずっと、一緒にお仕事をしてくださっています。

超一流の木地師さんは、超一流の材木屋さんから材木を仕入れます。
ある時、私が大きな木地の予算の関係で悩んでいたときに、もう少し質が低くてもいいから(といっても、日本産欅の中での話です)、手頃な木はないかと材木屋さんに尋ねてくださいました。そうしたらむーっとされて・・・・と笑っておられたことがありました。

京都のお茶道具など格の高い仕事というのは、互いが互いを監視している、とよく西村さんは言います。分業の中で、依頼主はじめ互いが保たなければならない最低限のレベルという共通認識があり、常にそのレベル以上の仕事をしているかと互いを見張っているような関係性の上に成り立っているのだそうです。それが京都の伝統と格式を守り続けているのです。

この西村さんという方は、若かりしころはファッション業界にいらして、イッセイミヤケでお洋服のデザイナーをされていたという異色のキャリアの持ち主でもあります。そこから木地師になられるまでの紆余曲折はここでは割愛させていただきますが、それだけに木地のデザインの面に関しても鋭い感覚を持っておられます。

で、京漆器についていろいろと教わっていたのですが、最近はだんだん文学や音楽の話、ときどきストリップ小屋への憧憬などの猥談もはいりだけど…その文学にしても、古典から現代まであらゆる時代を網羅されていて、しかも読むもんなくなってきたから図書館の全集をかたっぱしから・・・・と日本における小説黎明期の作品群などという超マイナーな分野について色々と教えてくれたり。はたまた音楽についても、武満徹からバルトークの弦楽四重奏やらシューマン一家の話など、本当に幅広く自身の視点を持って語ってくれます。この人の仕事の背後にはこんな世界があって、これだけの知識の上にこの仕事がなされているんだなあと、仕上がってきた木地を見ながらしみじみ思うのです。

もう一人、私がお世話になっているのは上塗り師の番浦さんです。微妙な匙加減など自身で最後までコントロールしたい場合や、うちの師匠直伝の朱塗りをしたい時には自分で上塗りまでします。でも最後の最後、最も表皮の部分の美が作品の完成度を左右するのは間違いないので、黒や溜などそこを上塗り師さんに塗っていただいたほうが完璧に仕上がる時には番浦さんにお願いしています。

番浦肇さんは明治生まれの漆芸家番浦省吾のお孫さん。
私がパリで漆をやることに決め、当時の彼氏と図書館にこもって漆関係の美術書あさって師事する先生を探していた時、この方!と思ったのがShogo Ban’uraでした。しかしさらに調べてみるとすでにお亡くなりになっていたので、再び色々とあたって私の師であるNagatoshi O’nishi先生に巡り合いました。

そんな番浦省吾さんのお孫さんのお宅が、自宅から徒歩5分のところにあることを知ったときには驚きました。省吾さんの建てられたお宅で省吾さんの作品を目の端に入れながら肇さんと話していると、ふっと省吾さんがその辺にいて見守られているような不思議な感覚に襲われたのでした。
そんなわけで、「ばんうらさーん」と呼んでいても、いまだに私の脳裏ではアポストロフのついたBan’uraさんです。
 
京の懐は斯様に深く深く、愉しいのです。
日本の伝統のど真ん中で、最高の職人さん達と一緒に仕事ができることに感謝しています。それに恥じないよう自身の技を磨き、それをもって新しいことに立ち向かいたいと思うのです。