Kyoto←Paris

work
Jun 16, 2019

 パリより帰ってきました。すでに2週間経ってしまいました。
 本当にぱんっぱんになった頭のスーツケースにグイグイ体重かけて閉めて帰ってきたような状態だったのです。頭に隙間=余白=遊びがないと「わたし」として何も考えられない。師匠もダンナも、忘れないとダメなんだよと折りに触れ同じこと言うなあと思ってたけれど、今回はそれを実感。2週間かかってやっと色々と忘れることができたようです。そして、その中で鮮やかに立ち昇ってきたものも・・・。

 
 ここ2週間ずっと考えていた、作品の構想。(このプロジェクトは作品を12月頭までに仕上げなくてはならないのです)
 パリでプロジェクトが始まってすぐの各々のプレゼンの後、まだ頭の整理もつかないままに思いついて提案してしまったアイデアは、漆の「時間」というものに一度向き合いたいという思いから「経年の変化」だった。コラボレーションパートナーになったのはIndigo(藍)を使うデザイナーの Anaïs、作品と同じ目の色をした透明感ある素敵な女の子。Balenciaga、ChristianDior、Cacharelと華やかなグランメゾンを経て、その商業ベースの世界からアート方向へと転換するべく自身のブランドを立ち上げたという。
 藍も漆もどちらも美しさのためだけでなく、素地を守るために施される膜である、と二人で話し合った。時とともにその層が剥がれ落ちてゆくという現象。そこをテーマにしたかった。

 わたしは「時を集める」ようにまず古い漆器を集めようと思い、帰国してすぐに収集を始めた。それらのかけらで作品を作ろうと考えていた。ところが集まってきた物を眺めながら、一体これが自分の今まで作ってきたものとどうやって繋がるの?唐突すぎない?訳わからない?漆器の妖怪作る気か?(『おわんない』て「お椀」と「終わらない」をかけたタイトルまで考えてみた笑)とかちょっとこれでは収拾がつかないぞと思い始めた。うまくいかなかったら、賛同してくれたAnaïsにも申し訳ない。そんなあやふやなもの作りたくない。

 そんなことを悶々と考え続けてるうちに、パリで見たもの経験したものその他諸々を忘れていったらしい。(でも、たぶんどっかにはある、必要な時には出てきてくれると願いたい)
 そのうち自分の中で立ち昇ってきたのは、Galerie Thaddaeus Ropacで見たDonald Juddの一連の作品。今までまとまった状態で見たことはなく、ミニマリストという認識しかなかったのだけれど、こんなに美しいとは知らなかった。計算し尽くされ研ぎ澄まされた表面。そして視覚効果。舐めるように見てたらAnaïsもわたしもギャラリストに注意された。触れると表面状態が変わってしまう、作品の存在価値および視覚効果に影響が出るからとか言ってたかな。この展覧会のキュレーションをしたJuddの息子さんに厳しく言われてるからとのこと。虫とかきたら大変だね、とAnaïs、ほんと、ちょっと虫の糞ぽいのついてたけど。アルマイト(陽極酸化処理した表面)がどうのこうのから長々と説明してくれたのだけど、込み入ったフランス語をちゃんと理解できなかったのが今になってとても残念。今度Anaïsに尋ねよう。
 そして、Thadaeus Ropacのことを教えてくれた方とその後やりとりをする中で、とても大切なことに気づかせてもらったのです。だけど大切なので心に秘めておきます。
 そんなこんなで悶々を抜け出しました。まだどうなることやらわからないけど、ちょっと光が見えたような。まだまだ創作の悩みは尽きないけれど、古い漆器とJudd、そんなとこが今、今回のパリ後にわたしの中で熱くなっております。何の脈絡もないそれらが、わたしの中で繋がったようです。