パリのギャラリーにいたとき、「日本には絨毯のお祭りがあるんでしょう?」と聞かれたことがあります。
???と思ったのですが、少し考えてから「祇園祭り」に思い至りました。最近では、山鉾の懸装品である絨毯が世界的に見ても重要なものであるという認識が周知され、NHKでも特集されたりしていますが、以前には意識はそう高くなかったと思います。しかもこどもの頃から目にしているとそれが自然で、背景のようになってしまっていたせいか、「絨毯のお祭り」と言われてもすぐにわからなかったのです。もちろん「絨毯のためのお祭り」ではなく、主役は神様で、絨毯の他にお稚児さんやお囃子などたくさんの要素があるためもありますが。
でも、「絨毯のお祭り」という視点で見てみたら、それはそれでとても面白いのです。
視点をたくさん持つと、それだけ物事を豊かに見る事ができます。感性の平野が広がるようです。
そんなこともあって、日常を異化するという視点をいつも持っていたいと思っています、とりわけ漆に関しても。
京都にはたくさん漆関係の老舗があります。私自身は、漆家業の家に生まれたわけではありません。外からこの世界に飛び込んだ者として、その世界の内側にいると見えなくなってしまうものを大切にしたいと思います。
例えば、塗師は漆黒という色一つにしても彩度や明度の違い、艶のあるものからないものまで、10段階ほどを見分けることができます。すごいことですが、それは塗師にとって自然なことなのです。
この、片方の世界の者にとって自然だけど、もう一方の世界の者にとっては自然でないこと、この距離感、この差異がミソだと思うのです。また、見慣れている作業中の漆の姿、ルーティーンになってしまうとどうってことないかもしれないけれど、実はハッとするほど美しい姿を見せてくれる瞬間がたくさんあります。
こういうことをUrushimediaとして伝えてゆきたいと思っています。漆というものへの人々の認識が少しでもVividになることを願って。