授賞式

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Aug 08, 2019

京漆器展理事長賞をいただいたので授賞式に行ってきました。
今お世話になっている京都市の方々にもお会いし。 作品選評に立派な言葉をいただきました。こちらに載せております→click
作品意図とはまた違う視点からの意見をもらえたりすると、ほおお、そんな見方が!と唸ります。 見てくださる方の想像力と共創できたようにも感じるのです。
そして今日この頃思うこと、私には誰かの救いとなる音楽も小説も映画も作れないけれど、それでも見る人の爛れた心やくしゃくしゃになった心、分厚くなってしまった心を一時でもハッとさせられるものを作れるようになりたい。心が動いたら生へ引き戻せると思うから。
そういえばもうすぐ弟の命日。

器ふたたび

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Jul 21, 2019

TCIラボの方々、アトリエ・ド・パリの館長さんフランソワーズ、ストラテジストのグザビエ、京都市の方々、それから留学中の学生さん達がたくさんでアトリエといってもただの家なのですが、来てくださった。
アトリエは一軒家の普通の一部屋なので数人しか入れないし、申し訳ないなあと恐縮して、ああ、ちゃんとしたスタジオを持てるくらいになりたいわあと悲しく思いつつ、リビングでお茶をお出しすることに。
せっかくなので、<襲 Kasane>で食べてもらう。<襲>は一つずつ色と質感を変え、重ねた時にグラデーションになるように作った12枚のお皿です。組紐の仕覆に入れてます。
仕覆から取り出して、テーブルに並べる。緑庵の数種類の主菓子を、これはどのお皿に合うかなあ、と考えつつ載せた。そうしたら歓声があがって、思ってもみなかったほどみなさん喜んでくれる。
12枚1組のお皿でみんなで食べる。なんだかとっても一体感。
そしてAnaïsとわたしの作品の構想と進捗等々を報告、検討。
帰り際、これは本当にIchigo-Ichieだったねと言ってくれたフランソワーズ。立派な日本家屋でなく、こんなカオスなリビングでそんな言葉をいただいて少し驚いて、一期一会というと素晴らしい茶室空間でというイメージがあるけれど、そうか、もっと精神的なものだったんだな気づかされる。
 本当のとこ、最近は食器を作ることへの興味を失いかけていたのだけれど、つまり、究極は、禅僧の応量器だな、と思っていた。すぐ極端に走ります。あまりにも物が溢れていて、デコラティブな食器も溢れていて、食傷していたのです。今も応量器に勝るものはないと思うけれど、でも、こうして喜んでもらえて、再び、器も作り続けたいと胸が熱くなった。

“ Entropy”

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Jul 21, 2019

止まっていた時間が再び動き出したように、先週からふたたび動き出したSavoir-faire des Takumiプロジェクト。
自分の中で存在の大きくなっていた物理の世界、京都に到着したばかりのAnaïsから「エントロピー」という言葉を聞いて、離れているのになんでリンクしてるの!と驚き嬉しかった。決して元に戻ることのない熱量を表す「エントロピー」という物理学のことばをわたし達はテーマにすることに。物理学の中での本来の意味を真に理解できないのは百も承知と開き直って。
みんなのプレゼンを聞きながら、作品の構想が自分の中で流転する。
こういう方向に行くとは思っていなかった。
むくむくと、自分の中に眠る破壊衝動が出てきたり笑。
そしてまたこの数日でクルクル流転。倒れたり起き上がったりにっちもさっちもいかなくなったり。大学生の頃美術史の授業でわたしは何を勉強してたんだろう。教授は何を教えてたんだろう。
そしてまた別件で、Fine artとApplied artの根深い違いのところへ嵌まり込む。素材ありきで作っているのはApplied artで、自身の思想ありきで素材を選ぶのがFine artなんだろう。マテリアルにこだわっている限り近代というか。ところがマテリアルにこだわるのは素晴らしいことだし、きっと対立的なニ元論の時代は終わって、東洋的な一元論の時代が来るんじゃないかな。先端的な素粒子物理学は以前からそうであるように。アートだって。市場で中国の存在感も圧倒的なのだし。と頭の中もぐるぐるカオス。
ああ、でも思想を作らないと。それはいつの時代もどこでも変わらず必要なことだから。

figureを軸装

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May 17, 2019

典雅堂の表具師水島さんと打ち合わせ。
漆の映像作品『figure』を映すための白紙の掛け軸を作ってもらうのです。わたしも漆を塗った布など持参。

表装の世界は全く未知でしたが、いや未知のままですが、きれいな紙やら、美しい布やら、なんだかとても柔らかい世界でした。そういえば水島さんも柔和な方です。
でも、マテリアルに変化をもたせるため銀箔をご自身で硫化してたくさんの色味を作られたりと、色々と熱心に研究されています。お軸にはいくつも要素があって、一文字とか、軸先とか、地とか、コーディネートのようにあれこれ考えるのは愉しい~。

わたしは、絵といえば額に入れて壁に飾るもの、という感覚で育っている現代日本庶民です。そんなわたしにとって、掛け軸という完成されたフォーマットができあがるまでの歴史の中の変遷や精神活動はどんなだったのだろう、と思うとすごくわくわくして、もはやエキゾチシズムぐらいの距離感で興味をひかれます。

絵をくるくる巻いて持ち運べるなんて!とか、ほどけば完全に平面布地へと戻る着物の発想と同じ思考回路で作られてる!当たり前か、とか、風帯を生み出した美意識はなんぞやとか、色んな思いがぐるぐる嵐のように巻き起こってぽーっとなりました。
ちょっと調べたら最初の起源はやはり中国で、仏画などを掛けて拝むためのものだったそうです。コーカサスやアフガニスタンの山岳民族が掛ける、拝む対象としての織物を思い出しました。

そして完成した見事なこの掛け軸というシステムに、ははーっと改めて感動しました。
自身のDNAの中に眠っている記憶が、やっぱこれだろっと呼応していました。

漆のお軸、いや、お軸のスクリーン?どんななるかなー。

あ、そういえば、の話です。
柴田是真という江戸後期〜明治期に活躍した漆界の巨人がいます。
水島さんによると、是真の漆絵の軸は、巻いても漆部分がバキバキには割れないらしく、そこで真贋を見極めたりするそうです。(漆は乾くと柔軟性はほとんどなく、曲げれば普通割れてしまいます。特に日本産。東南アジア方面の漆はゴム質が多く、多少柔軟性があるようです)
軸装する必要があった時代の漆絵には、巻くことで湾曲させられても大丈夫なように、何かしらの技術があったのかもしれません。それが是真独自のものか、それとも漆業界に確立されていたものかはわからないけれど…。漆関係の書籍あたってもそんなことは載っていないし、是真関係の研究を探せばいいのかな。何かご存知の方があれば教えてください。あ、別にわたしは漆絵をするわけではないのですが。

BnA Alter Museum

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May 12, 2019

漆の映像作品「figure 」に音楽をつけてくださった青木孝允さんの作品を見にBnA Alter Museumへ。すごいたくさんの人が河原町通りまで溢れてた…。 青木さんの作品 TRAVELING ROOM。こんな音の粒粒を浴びられる空間独り占めにできるなんて、京都だけど泊まりたい。翌朝起きたら頭ん中から身体中の中身という中身が新しく総取っ替えされていそうです。
漆の映像のために音楽を作っていただいた時も、音楽を作ってもらう、ってなんて贅沢なことなんだろうと感激したばかりでした。青木さんの言うように音楽って波長というか物理的な波のようなもので、液状の漆に合う、その漆を落としているわたしの身体に合う、そんな一つの新しい波長を作っていただいたようで、感動したのでした。

大江能楽堂

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May 07, 2019

能楽師の大江広祐さんの舞台を観に。
大江能楽堂の舞台は大変珍しい総漆塗りの床だそうで、とても見たかったのです。舞い手の跡が生々しく目に見えて残る舞台は迫力!
桟敷席もあって、天井も素敵。衣装もたまらん…そして高揚させられるお囃子と謡、長時間続く熱のこもった舞でした。

由紀さん

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Apr 14, 2019

中学高校大学の先輩でありお友達でもある何必館・京都現代美術館キュレーターのキュートなキュートな(キュが多い…)梶川由紀さんが個展に来てくださり、婦人画報ウェブサイト内の「きょうとじんのひとりごと」という由紀さんのページに心のこもった記事を書いてくださいました。由紀さんの手でもって表現されるとこんなにも素敵になるものかと感服いたしました。

由紀さんの「ひとりごと」には、由紀さん目線でとらえられた美しくさりげない世界が綴られています。由紀さんらしい静謐さが漂っていて本当に素敵なのです。

回る御社の夢

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Mar 22, 2019

久しぶりに師匠に会いに。
85歳の先生はますます漆を追求、そしてちょっと可愛くなっていらっしゃいました。
夜遅くまでたくさん話を聞いて対話して大笑いして、背筋を伸ばしてもらう。

工房前の神社を見て、10年前に見た不思議な夢に出てきたのはこの神社だったと気づく。回るこの御社の夢。ぐるんぐるんすごい速さで御社が回転してた。ひえ〜と思いながら見てたら、最後に御社がズボッと抜けて吹っ飛んだ。
そしたら御社の下の部分(基礎みたいに地中に埋まってるところ)は美しい巨大な白色の木の根っこだった。という夢でした。
拝んでおきました。

長靴下ピッピ展

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Feb 20, 2019

こども達の大好きな『長靴下ピッピ展』に行きました。
心に残ったのはイングリッドヴァンニイマン(Ingrid Vang Nyman1916~1959)のイラストレーション。ニイマンにしか書けない完成度の高い線を凝視しながら「イラストというのは自身の線を獲得できるかどうか」だなと思う。腕から指先の関節の一つ一つまでが脳からの神経伝達で完全にコントロールされる。鍛錬されたピアニストのように。
藝大の油画科卒のペインターの友人が以前「(版画ではあるけれど)浮世絵の線って単純そうだけど真似してみるともんのすごく難しいんだよねー」と言ってたのを思い出した。そういえばニイマンも浮世絵を模写していたのだったな。